FP OFFICE 海援隊|1970年以降生まれの「ライフ&マネー塾」

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1970年以降生まれの私たちの家計は、企業会計基準から見ても「ロックオン」されている! お金は預けるな、回せ!

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 ブログの更新をしばらくしていませんでしたが、少し時間的な余裕ができたのでアップすることにしました。

 なぜ、更新していなかったというと、税理士資格の取得に向け勉強に割く時間が必要だったからです。

 で、ようやく簿記論・財務諸表論の授業が一段落し、その中で思ったことがいっぱいわわわ~~~と出てきたため、FP実務との関連性で見えてきたことを一応伝えておこうと思い、今回の更新に至りました。

 いきなり結論を言うと、たぶん、私たちの将来の家計は、過去から振り返ると、すでに「ロックオン」されていると思います。

 いきなりこんなことを言われてもよくわからないと思います。

 これ、複雑に制度が入り組んでいて、ひとつずつ組み立てて考えていく必要があると思うんですが、

平成18年、企業会計基準が「概念フレームワーク」として改めて整理された

という超重要な出来事が関わっています。

 この中で、企業会計は何のためにするのかといった会計観の軸足が少し変わり、これがその後の経済に影響を与えてしまっているということがよくわかりました。

 

 企業会計の目的は、企業のステークホルダー(利害関係者)に向けた正確な情報開示です。

 このときに使うのが「貸借対照表(B/S)」と「損益計算書P/L)」ですが、貸借対照表の目的は企業の財務内容の状態を示すこと、損益計算書の目的は企業活動の成果である純利益(成長性)を示すことにあります。

 わが国では、昭和24年に現在の企業会計基準がまとめられたそうですが、話によると、それ以前の企業会計のルールはそれぞれの企業でごちゃごちゃで、企業の実態に合わせた形でやってくれればいい程度のものだったそうです。

 このときの財務諸表の開示目的は、企業のステークホルダー(利害関係者)である債権者(銀行や取引業者など)を中心に「自分の会社はこんな財務内容です」と示すことでした。

 つまり、株式会社といえども、株主というステークホルダー(利害関係者)は重視されていなかったんだそうです。

 そして、昭和24年になり企業会計基準が整理され、一定のルールの下、企業会計を行い、財務内容の開示を行うとなったわけですが、この段階において、財務諸表の開示対象として株主というステークホルダーも重視されるようになったそうです。

 以前、確かホリエモンが世間を賑わしていたころ、あれは小泉政権のときだったと思いますが、「株式会社は誰のもの」議論が活発に行われていました。

 このとき、「株式会社は株主のものだ~」と主張する向きがかなり目立ちましたが、従来の日本企業のあり方とこれからの日本企業のあり方について討論されていたことを覚えています。

 昭和24年以降まとめられた企業会計基準の下では、日本の企業は家族的な意味合いが強かったため、それを武器に世界に向けて経済成長を遂げてきました。

 この時代における財務内容の開示対象は一応、株主も対象ではありましたが、「債権者>株主」で、どちらかというと債権者重視だったそうです。

 つまり、企業に関係する債権者を大切にしながら、経営者・社員・従業員一同、まとまって企業を成長させようという目的がありました。

 

 これが成長の源泉だったわけですが、このような考え方が大きく変化するようになったのが平成18年にまとめられた「概念フレームワーク」という枠組みです。

 この段階では、それまでと比べ、企業のステークホルダー(利害関係者)として「株主」をさらにより重視することが謳われるようになりました。

 つまり、企業の財務内容の開示対象は、従来どおり債権者を重視しつつも、同時に株主に対してもより重視していった方が良いという考え方に変更されたということです。

 これが「株式会社は誰のもの」議論の根拠だったのかと税理士資格の勉強でよくわかりました。

 平成18年というと2006年です。

 施政は小泉政権下ですが、概念フレームワーク小泉政権下というタイミングを考えると、うがった見方ですが、ここになにがしかの意図が感じられます。

 

 株式会社の資金調達には、大きく分けると「間接金融」と「直接金融」があります。

 これについては、資産運用をされている方は覚えておいた方がいいと思いますが、間接金融は、企業が銀行からお金を借りて会社の経営に充てるための原資にすることです。

 一方、直接金融は、株式会社が株式を発行することで投資家から資金を募り、それを資本として経営原資にすることをいいます。

 平成17年までの企業会計基準においては、どちらかというと債権者、つまり、お金を貸してくれる銀行などに向けて財務内容を開示するというのが企業会計の目的として強かったわけですが、平成18年以降は、株主から直接資金調達することがこれまでよりも重視されるようになり、この結果、「株式会社は株主のものである」といった極端な議論がされるようになったんだと思います。

 企業会計基準における「概念フレームワーク」においては、必ずしも、株主を重視しましょうと言っているわけではないんですが、極端に重視されるようになり、今では、さらに価値観として株主様といった雰囲気になってきています。

 要するに企業会計基準の拡大解釈というか、行き過ぎというか、これに経営者サイドがすっぽりはまってしまっているんですよね。

 「株式会社は誰のもの」議論はそれ自体あまり意味がなくて、貸借対照表における「負債」と「資本」においては、債権者と株主から資金を調達し、経済活動をしているわけですから、両者が重視されるのは当たり前のことです。

 そして、経営者はこのようなステークホルダー(利害関係者)から経営を委任されているため、狭い意味で考えると、一方で株主のために株式会社はあるとはいえます。

 ただ、株式会社は費用を消費し、収益(売上)を積み上げ、利益を獲得することを経営活動の目的としており、この過程で社員や従業員が働いてくれているため、社員・従業員は直接的な利害関係者ではありませんが、利益を生み出すためのクルーであることから、社員・従業員の活躍によって成り立っているという認識は当たり前のことです。

 これは損益計算書における「費用」・「収益」・「利益」の認識の話ですが、これがなければ、そもそもで株主に対する配当も得られないため、普通に考えればいたって当たり前のことなんですが、これら一連の総合的な考え方が企業会計基準として定められているにもかかわらず、「株式会社は株主のもの!」といった認識がより強くなってしまっていることに違和感を覚えます。

 これが「金さえ稼げればいい」という変な風潮につながっているのかもしれないと思うと、世知辛い世の中になっているのも理解できます。

 

 過去を振り返ると、このような結果、「効率性の重視」が散々叫ばれてきました。

 今でもそうですが・・・。

 例えば、終身雇用の崩壊や派遣労働者など非正規労働者の増加は人件費という「費用」を削ることで、「利益(当期純利益)」をより多く獲得するといった損益計算書上の仕掛けで、結果として、これが貸借対照表上に当期の「繰越利益剰余金」という形で現れ、この分が「利益準備金」や「利益積立金」の原資になっていくという構図になっています。

 そして、これらの一部が株主の配当に回されることがあるため、「株式会社は株主のものだ~」⇒「株主にもっと配当を回せ~」⇒「事業を効率化して、株式の評価額(時価)を吊り上げろ~」といった主張につながってきたわけです。

 

 こんなふうに考えていくと、「企業価値ってなに?」って思います。

 結局、その企業の価値は、株主の利益のためにあるといった過度な考え方にもとづいて解釈されてしまっている風潮があるため、こういうことを繰り返していると、おそらく、この国は長期的に見て産業の空洞化や企業成長力の低下につながる可能性が高いように思います。

 なぜならば、人材を軽視するあまり、一部の企業を除いて、損益計算書における「収益力」の低下につながる可能性があるためです。

 国としては「生産性の向上」を実現するために「企業経営の効率化」をサポートしていますが、これは損益計算書においては「利益」=「企業活動の効率化」を表しているため、国の姿勢が企業にそうさせ、結果として私たちの暮らしが長い年月をかけて停滞していきたというのも、おそらくこれらの動きと関係しているのでしょう。

 

 

 このよう考えると、長期的に見て、私たちの暮らしは、企業会計基準から考察しただけでも、すでに「ロックオン」されていることがよくわかります。

 すでに敷かれた一定のレールの上を知らず知らずのうちに走らされているわけで、その行きつく先は自ずと決まっています。

 実務面でいうと、その傾向は表れてはいますが、先ほども述べたように、雇用が不安定になってしまったため、かつてと比べれば個人が稼ぐ収入が減少してしまったことで共働きを余儀なくされています。

 すべての家庭がそうとはいいませんが、傾向としてはこのような現象が見て取れます。

 他にも事例はいくつかあり、細かく書くと紙面を割くことになるので控えますが、この「ロックオン」に対して1970年以降生まれの私たちはどのように向き合う必要があるのか。

 つまるところ、企業会計基準の概念フレームワークは国際基準の動きに合わせることで生まれました。

 そして、これを拡大解釈する向きがあり、現在に至っています。

 このようなことはよく会計上のグローバル化と指摘されますが、グローバル経済が行き過ぎた結果、国際基準が変更され、日本にもその波が訪れたと見る必要があるでしょう。

 マクロ的に見れば、行き過ぎたグローバル化に私たちの家計はどのように防衛すべきかという視点が必要ということですが、資産運用に限ってその解決策を探ると、

金利の低いところにはお金を預けるな

となります。

 これは資産形成の原理原則なんですが、「お金は低いところから高いところに流れる」と昔からいわれます。

 コロナショック以来、株式市場がなぜ戻ったかというと、この原則に沿っています。

 コロナショックが与えたメッセージは、将来、世界経済が減速するということです。

 世界経済の減速は金利の低下を招きます。

 このため、低くなる金利水準を避け、より高い利回りを求め、株式市場に資金が流入していきました。

 株式市場だけでなく、金市場もそうですが、こういったところに投資した方が儲かるという判断を投資家たちはしたんですね。

 この背景にあるのが金利の低下なわけですから、一方では、国債がしこたま買われています。

 国債を買うのは基本的に中央銀行です。

 日本でいうならば日銀。

 そして、金利が低下し、株式市場など国債の利回り(金利)よりも高い利回りが期待できる金融商品に一般の投資家マネーが向かっていったという流れです。

 

 悲しいかな、企業会計基準が拡大解釈された下では、株主がより重視されています。

 株主は企業の株式の保有主体であるため、これを儲けさせるために間接的ではありますが、金融政策が決定されているという見方もできます。

 この大きな流れ、そして長期的な流れは今後も続く可能性が高いため、長い目で見た場合、ほぼ確実にお金を効果的に運用しなければ損になるわけです。

 財務諸表論を学んで、こんなふうに思いました。

 小泉政権のころから、資産運用って既定路線だったんじゃん!

 だからといって、株を買えばいいという話ではありませんが、資産運用をするときは、分散投資と長期投資を前提に状況に応じて臨機応変に投資判断を下すのが大原則です。

 この、空恐ろしい既定路線の中で世界が動いているため、私たちは結構本気で考えなきゃなんないと、この期に及んで感じるようになっています。

 なんだかなぁ~。

 コロナ禍以降も、この流れは既定路線として動いていくと思うので、家計面だけでなく、自分の人生をどうするかについてしっかりと考える必要があるでしょう。

 

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