FP OFFICE 海援隊|1970年以降生まれの「ライフ&マネー塾」

これからの時代、変わりゆく常識を少しだけ早くキャッチし、人生に活かしてみる。

コロナ後の世界。行動変容というカタチに目が行ってしまうと、家計にとって大切なことを見誤る。

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 コロナ後の家計に、何を見越すか。

 本来なら、全世界的規模で広がっている新型コロナウィルス感染症が世界情勢をどう変え、世界経済がどうなるかといった俯瞰的な視座から、私たちの家計がどうなっていくかというミクロ的な視座に落とし込んで考えていく必要がありますが、個人的には、それを考える意味が本質的にどこまであるものなか、少し疑問に感じています。

 別に、このようなことを考えること自体、それはそれでいいとは思います。

 新型コロナウィルス感染症の拡大が米中のさらなる摩擦を引き起こすとか、行き過ぎたグローバリズムが是正され、多くの国で国内回帰の動きが広がるとか、リモートワークに代表されるオンライン上での新しいライフスタイルが注目されるようになるとか・・・。

 それぞれの立場で、それぞれの視点で、それぞれの変化点を捉えると、それぞれの見方が生まれるのは当たり前のことだと思います。

 ただ、なんだか、虚しいんですよね。

 最近、よく思うのが、オンラインシステムを活用した学校の授業。

 テレビだけでなく、インターネットなどでも、これについていろいろな人が多くを語るようになっています。

 小学校の授業がオンライン化する場合、何の目的で、何を学ばせるんだろうと単純に思いますが、その結果、子どもたちの持つ感性はどのように育まれるんだろうと、頭の中にいくつものはてなが沸いてきます。

 ひとりの人間の人生において、環境の変化は、その後の人生形成に大きな影響を与えると思いますが、そこにどれほどの意味があるのか。

 もっと哲学的な部分とか、より観念的な思考や道義的な姿勢といった、本来、人間が確固として持ち続ける必要のあるものについての議論がともなっていなければ、いくらコロナ後の世界が云々といったところで、無味乾燥なものに終わるような気がします。

 コロナ後の世界において、別に、ライフスタイルが変わろうが、変わらまいが、そんなことは、正直、どうでもよくて、むしろ、変化するであろうライフスタイルが、人々の心理や肉体にどのような影響を及ぼし、結果として、どのような社会的変容につながるかの方が素直に興味が持てます。

 

 これは、私たちの暮らしやお金についても同じようなことが言え、この仕事をしていてよく思うことですが、人生にとってはお金が滅法大事なわけではないという視点に立たなければ、いくら環境が変わったとしても、個々人の人生における満足度の向上には結びつかないと考えています。

 試しに、コロナ後の家計について、どのように見るべきか、FP事務所としての見解を申し述べると、単純に、最低でも2年間、景気の低迷を想定し、家計防衛を図る必要があるという結論にしかなりません。

 家計について考えるときは、「家計簿」だけでなく「資産表」も見ながら考える必要があります。

 家計簿には、「収入」と「支出」、そして、収入から支出を差し引いた「純利益」がプロットされますが、これとは対照に、資産表では、「資産」と「負債」、この差額である「純資産」が記されます。

 ここで重要なのは、それぞれの項目がコロナの影響を受けてどのようになっているか、もしくは、今後、どのようになっていくかを把握することです。

 ある程度影響を受けている、もしくは、少し影響を受けているという方については、おおよそ、家計簿においては、収入の減少により、支出の相対的な負担感が増し、結果として、純利益が目減りしていくだろうと推察できます。

 また、資産表においては、確定拠出年金やNISAなどで運用している金融商品の資産価値が目減りし、住宅ローンなどの負債の想定的な負担感が増すことで、純資産が減少することも容易に想像できます。

 要するに、家計は、特に中所得者層においては悪化する傾向が予測され、この衝撃をどのように和らげるかが、今後、問われてくると思います。

 さらに言うと、収入の目減りの影響を受けづらい方でも、長い目で見れば、将来的な増税社会保険料の負担増により家計における収支のバランスが崩れる可能性があるため、このようなことを見越すと、長期的には消費性向が高まるとは言えず、むしろ逆で、貯蓄性向の高まりにより、多くのご家庭が守りに入りやすくなるだろうと考えられます。

 つまり、所得階層の区別はあれ、多くのご家庭では、これまで以上に工夫をしなければ、純利益の増加率を高めることが難しくなり、その結果、資産表においては純資産と呼ばれる家計の体力が弱まりやすくなると考えるのが自然といえるでしょう。

 

 こんなことを試しにつらつらと書きましたが、結局、この程度の内容です。

 家計というのは、コロナ前であれ、コロナ後であれ、暮らしの中でお金の流れが反映された結果に過ぎません。

 個々人の人生観があり、家族観があり、労働観があり、そしてライフスタイルがあり、その中で金銭的、経済的にそれらが反映された単なる統計上の結果です。

 このため、家計について考えることは、ライフスタイルや労働観、家族観、そして人生観を個々人がどのように考えているかということに等しく、だからこそ、必要以上にお金に目が行ってしまうと空虚なものにしかならなくなります。

 

 コロナ後の世界。

 私たちは、その先に何を見出すのか。

 自分としては観念の変化に着目していますが、行動変容に目が行ってしまうと、見えない空気にいとも簡単に絡め捕られるような気がします。

 米中が対立する結果、世界に広がる観念上の変化はどうなるのか。

 グローバリズムが是正され、国内回帰の動きが広がる結果、経済活動においてどのような価値基準が形成されるようになるのか。

 オンラインシステムが社会に定着し、人々の行動様式が変わる結果、私たちの人生観がどのように変化していくのか。

 家計における収支のバランスや消費・貯蓄性向が変わる結果、家族観や労働観がどのように姿を変えていくのか。

 そして、このような観念上の変化の結果がさらなる次の時代を形作っていきます。

 観念上の結果とは、つまり、人々の満足度の結果であり、この程度が高ければ次に来る時代は素晴らしいものになるかもしれません。

 逆に、この程度が低ければ、次に来る時代は人間として無味乾燥としたものになりやすいでしょう。

 こうならないために、私たちはどう振舞えばいいのか。

 コロナ後の世界について考えるときは、この人々の振舞いに着目し、行動変容の性質を見極める必要があるように思います。

 空虚な人生にするか、中身の詰まった人生にするかは、結局、人々の振る舞いに対して自分がどう振舞うか、これなのかもしれません。

 

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