千葉日報さんから今回の衆院選の件でインタビューを受けてきました。
千葉日報さんからの取材を受けてきました。
今回の衆院選についてどう思いますかとか、政治に何を求めますかといったインタビューです。
千葉県の各自治体から有権者の声を聞くという企画だそうで、酒々井町でFP事務所を構えている一事業者として、そして一住民として、政治に何を期待するか聞かせてくださいとのことでした。
結論から言うと、今回の選挙は政治に期待をするというよりも、有権者個人が何をするかが問われている選挙だというお話をしました。
正直、政治にはそれほど期待していません。
すでに書き換えられているプラットフォームで世の中を見ると、私たちの一票で解決できるような次元の話ではないような気がするからです。
ここでいう「プラットフォーム」とは、世の中の「基盤」や「土台」、「土俵」といった意味ですが、世の中をひとつの基盤と捉えた場合、その基盤が構築されている「プログラム」の「設定」をプラットホームと呼んでいます。
インタビューでは戦後から紐解きました。
ひとつ目のプラットフォームの変化は、人間が何を考え生きているのかという「イデオロギー」上のプログラム設定の書き換えです。
戦後、世界は資本主義と共産主義という二項対立がイデオロギー上のプラットフォームとなりました。
その後、ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が地球上から消え、アメリカを中心とする一国覇権主義というプラットフォームに書き換えられました。
そして21世紀に入り、宗教的原理主義や環境保護主義、人権主義、そして近年顕著になっている保護主義といったイデオロギーの乱立が混沌をキーワードに新たなプラットフォームを形作っています。
ふたつ目のプラットフォームの変化は、「経済」におけるプログラム設定の書き換えです。
金融面では、通貨政策が金本位制から固定相場制、そして変動相場制へ移行し、また金融政策が実体経済への直接的なアプローチから金利や物価を操作する間接的アプローチに変化していきました。
産業面では、重厚長大産業から情報通信産業への大転換が図られ、現在、AIやIoT、VRなど第4次産業革命と呼ばれる情報技術の革新が経済活動の仕組みそのものを変えようとしています。
3つ目のプラットフォームの変化は、「人口」というプログラム設定の書き換えです。
戦後、日本では、人口が増加していくプラットフォームに始まり、経済的に豊かになるにつれ、徐々に人口が減少していくプラットフォームに転換していきました。
今、問題とされているのは超高齢化と少子化による人口減少ですが、人口動態の変化は、住まいや働き方、家族のあり方、税・社会保障制度、そして家計にまで波及し、様々な方面で私たちの暮らしに影響を及ぼしています。
私たちは、いつの時代もある一定のプラットフォームのもとで暮らしています。
プログラム設定が書き換えられるたびに私たちの暮らしは変化していきます。
このような原理原則というか、抗いがたい時代の潮流というか、このような現象の中で多くの人々の行動が左右されるとするならば、政治にできることはほとんどないのかもしれません。
冒頭で政治にはそれほど期待していないと述べたのは、為政者も時代が織りなすこのようなプラットフォームの上で生きているからという理由です。
では、政治に何を期待するのか。
大前提となるものすごく大きなプログラムを書き換えるのは正直無理だと思います。
ただ、そのプラットフォームの上で生きる私たちの暮らしや家計、働き方、子育て、老後、そしてセーフティーネットなどといった、より小さなプログラム設定をみんなが困らないように、みんなが幸せに生きられるように書き換えることの重要性を気づかせてくれるのが政治本来の役割なんじゃないかと思っています。
大きな方向性をはっきり示すこと。
そして、それを果断に実行できる力。
今、政治に求められているのはおそらくこのようなことで、この結果、より小さなプログラム設定が書き換えられれば、おのずと私たちの暮らしに直結するさらに小さなプログラム設定も書き換えられる気がします。
そのとき主役になるのが私たち国民で、だからこそ、今回の選挙は私たち一人一人が次の時代に向けた小さなプログラム設定を自分で書き換えられるようにするための大きな一歩だと考えています。
インタビューではこのようなお話をさせていただきましたが、仕事柄もあってか、子育て世帯がかかえている子育てと老後の問題についてプログラム設定を書き換える必要があることを一有権者の声として回答してみました。
政治についてはよくわからないことが多いですが、時代というプラットフォームの上で、自分が人生においてどのようなプログラム設定をすればいいかで考えると、たぶん政治は今までよりも身近で面白い存在になるような気がします。
自分で自分のちっちゃな人生のプログラムを書き換えることは誰にでもできますから。